2004年08月01日

自己分析シートの進捗について。

自分で書いておいて何ですが、再三俺が「精神分析は一時的に不快だ」がよくわかってもらえる内容になっています。
非難でも、批判でも無く「妙な不快感」を伴います、よく精神分析に批判的な臨床心理関係者の論評に「トラウマに近づける記憶重視の分析は危険、という見方が的外れだ」への回答にもなってるのじゃないか、

俺は再三『トラウマ論』で、トラウマの危険性は「前提となる自己嫌悪方の現実認識への、証拠として突きつけられる事後的な記憶である」と話している。「間違いないのだ」と暗黙の他者や自分自身を批判する「一種のスキャンダル(政界のスキャンダルのような)」的使われ方をしていて、それ以前に悩みが無い場合でも、「潜在的な葛藤を偶然の事件がトリガーとなって、、」と見るのが合理的だから、

俺の分析は「何かの事件や嫌な記憶を克服し」なんて記述は一度も出てきません、むしろその原体験は脇役で、法廷における状況証拠に近いものとして扱っているので、その記憶に直面する必然性はありません。
『それが妙な不快感のコアになります』
なんとなくわかっていただけると助かるのですが、
反対にここが『妙な不快ではないと』臨床心理士関係者の批判は「あたり」になるのです、
状況証拠(トラウマ)を物的証拠だと分析者が太鼓判を押すことは、悪循環になってしまうから(分析が中途半端で)です。

進捗は順調です、8月中にHPでupする事を確約します。
posted by kagewari at 21:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日常と非日常

これは俺の心理学のベースになっている岸田秀『唯幻論』に出てくる論議のひとつだけれど、自我構造からそれを見ると又違ったものに見えてくる。

日常と常識のそれは近い関係にあり、超自我(道徳や倫理)が普段無意識に似て認識されにくいところで同一線上にある。
つまり、「アンチプライバシー的それ」って事が言える。

何が何って、自我構造の中で「意識的自分」の増殖は「超自我」や「前意識的な記憶主義的無思考」を自我意識に取り込み『自分化』するプロセスなんだが、言い換えると「それは日常の減少」で、
例えばこの『非日常的日常』は「同じ事が繰り返さないかもしれない可能性」を示唆している、根拠は「人の考えはいつも同じではない」からってところ。
これは、悩みのテーゼである「記憶は変わらない」に対するアンチテーゼとなる。

プライベートな時間が日常を侵食するかのように見え、これを無防備にやると(保守対革新の構造と全く同じ)、「思いつきや、仕方なしなアイデア」に伝統的な知恵が無意識化している道徳や倫理が代替され、機能的問題が起きる(悩み)てな感じにも見えると思う。

もし、この「自分が表に出ている時間」が自意識的ではなく、なにかの因果関係で「仕方なく」だったら?
自我が思考して意識化しなければいけない問題・難題は山積みになり、本人も嫌気がさしてくるって可能性もあり、「仕方なく」なので、この人物の道徳・倫理性が健在だとすると「自分で考えるプロセス自体が不快」になる確立は高い。
まるで保守的な人物が、改革者を気取る若者を「なんか知らないがいかがわしい感じがして、判断以前にまずもって不快だ」と思うのと似ている。

俺が「確信犯的」という表現を使ったりするのは、この「あまり根拠のない嫌な予感的不快」を『ナシにするのに丁度いいから』だ、

ちょっと難解なのだけれど、哲学的にも「自分で考えて、なんかやる」事自体が「常識の破壊」であり、自分の時間の基礎的な増加を意味する。よって「我在り」的な実存感(レーゾンテートル意識の正体)は増加するのだけれど、そうそう簡単ではない。

ありえない仮定なのだけれど、やたらと何から何まで考えると「日常は消滅して、個人的であることが結果的(数学的反復で)に日常となる」、『日常の消滅は非日常的日常の再来である』という(何だこれ、、)一件意味不明の言葉に代わるんだなこれが、、
「自分で考えるコストを支払うと、日常特有のつまんなさや苦痛は消え、同時に日常維持のための非日常アピール満々のレジャーの必要性も消える」皮肉な事に、全くの第三者からは「いかにも日常を淡々と静かに暮らす事が、結論としての反道徳的日常の破壊であり、、、」この人物は「道徳的にも見える」かもしれない。

「何か目に見えて変わる事は何も無く、根本的な個人を動かす秩序は交代可能」というか、そうでないと「それは反動形成(つまらなさにバランスを取るためのエンターテイメント性)だ」って事。

俺は、ネコが毎日取り立てて変化の無い暮しをしているにも関わらず
そこに『寸分も退屈を見せない』在り様から、それを学んだ。
posted by kagewari at 03:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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