2004年07月03日

心理学的な考え方について

所謂ひとつの、「目線」です。
「視野」でもいいかなって思います。
心理学を理論として勉強するのもひとつの手法ですが、これを職人的に噛み砕くのも、ひとつの手法です。

何を言ってるのかというと、、

「何々は、こういう事例であり。これはこのような理論で実証もされているので、おそらくこう考えて間違いないでしょう。ですから原因は、、」
この心理学の正しさらしさを担保するのは、発言者の経歴や論文を書く博士のお歴々の「背景属性(ビヘイビィアー)」です。話の根拠まで認識したとすると、相談した人と心理学的解釈をした人の勉強した水準は同じであり、これは有り得ない話です。「なるほどそうなのか」と納得できるには「通常この診断に疑念を持つ人はいなく。何人ものかたが、この診断で回復しています」という実績(これもある意味「背景属性(ビヘイビィアー)」)も含まれるでしょうが、診断実績が公開されているのではありません。

これは構造的に「何か何」じゃないのでしょうか?
研究の水準に「おまかせする」以外どうにもなりません。
俺は、精神医療の学問というより、文系に属する「精神分析」を相談のメインにしていて、殊更「臨床心理士的分野の研究や勉強」をするつもりはありません(情報としては興味はありますが)。
これは「知識なのか?思考なのか?」全く系統が違うためです(異論があるのは承知していますが、俺の「精神分析」における認識の中でも重要なポイントであり、ここは譲れない線です。)、この部分の違いこそ「精神分析の特徴」といえます。

以前「サイコアナリスト」と自称する事に自分自身疑問に感じないってとこに触れて話をした事があります。「証券アナリスト」と同じで、「事情よ良く知っていて、それを分析して説明する人」だからです。
つまり「ヒーラー(治療者)」ではありません。「相談に答える」形式に拘りがあるのは、「アナリスト」だからです。
話が回り道してますが、粘り強く聞いてやって下さい。
『精神分析』は『分析』です。
分析が効果的である根拠は「無意識が関係する悩みは、認識できれば自立的に修正可能だから」です。
悩みに「無意識的な解釈をしない」というのであれば、悩みは単なる根性論になってしまい、ナンセンスですから、よほどの事が無い限り「無意識」自体を疑問に思われることはないでしょう。

↑の話をざっくりと読んでみてください。
@悩んでいる本人は「葛藤事由などによりその『動機は』無意識領域だが、行動や思考は悩みとして表面化している」。
A相談を受けている側は、「同一の葛藤事由が無いので、容易にその無意識的な意図を汲み取る事ができる」

これが『精神分析』における説明が、極端に外れない背景です。
話を余談や偏見を挟まず、又表面的な誇張に気を取られず、『動機』を考えればいいのです。「こういう理由で、こういう行動は選択された」を明解に説明できたらいいのです。
世の中の悩みにまつわる行動は「何故なんだろう?」と「それ自体が不思議だ」という事例が多いですが、『精神分析』で説明できない動機はありません。
精神分析の優位性は、「必ず答えが言葉の流れにある(表面化)から」です。言うなら「相談で話された内容を分析しているのだから、何か付け加えるように推理する部分は無い」ワケです。

答えの見つけ方は、技術的な事ではありません。
むしろ話を聞く態度(極論:根拠)です。「不思議な事や説明のつかない事は無く、必ず動機は特定できる」とした場合、それを発見できない時「ヘボ」であり、発見できたら「よし」です。
精神分析の内容の良し悪しを判断するのは簡単です。
「答えがちゃんと説明になっているのか」
だけで、「何とか論文を読破しないと、反論も出来ない」なんて事がありません。

一般に悩みに対する回答は「無意識の話」なんですから、実際相談に訪れた人には、その説明は「身に憶えの無い話」に決まっています。あるいは「(解釈をズラせて)とっくの昔からそんなことわかってる」と、受け取られます。
というか、そう受け取られなければ「分析はヘボ」です。
分析の中途段階で「こんな事ありませんか?」という質疑応答部分で「アルアルアルアル」と調子良くても、最後の「説明部分」には「妙に納得いかない」で「よし」なんです。

つまり分析自体は、さして技術的ではなく、重要なのは「分析者のパーソナリティ」とも言えます。
「そんな事は有り得ない」という先入観がどれほど少ないのか?
これで決まります。(「常識が無い」とも言いますが、、)
むしろ技術的な要素が要求されるのは「説明の説得部分」って事だからです。

この説得部分が「単にスムースに納得」に繋がればいいって事でもありません。そんなに簡単に納得される事なら、
悩みになる筈ないからです。
この場合「どこかズラされて合理化(納得)されたか」と、分析者は認識すべきなんです。

なんだかやっかいな話ですが、「話が徐々に深まり、合意部分が増えるに増して、違う疑問が現れてくる」そんな経緯が見えることが大事です。それが、徐々に無意識的な部分が、認識されているからこそ起きる現象だからです。(言い換えるなら「分析」自体の信用性が高ければ、次以降のプロセスは自立的に進める事が可能だって事)

以前俺の掲示板で、ある論争がありました。
「端的な答えを求める」
つまり、上記の説明を読んでいただければわかると思いますが、その要求自体が「精神分析的アプローチ」を否定してるんです。

その動機は「前もって防破線を張るためです」無意識に隠れる葛藤を守るためにです。
自立的に「悩みを解決しない構造を温存する思考があるから、悩みは自立的に解決しない」のですから、、、。

心理学的な考え方とは『動機』を探る事なんです。
posted by kagewari at 02:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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