2004年07月18日

個人の時代と、個人主義

言葉としては同じ感じがしますが、こりゃ違うと思います。
個人主義はよく西洋のスタイルになぞらえられますが、背景には彼等にとっての普通世界である「一神教的スタンス」があります。「正しさらしさを背景にした個」です、どうしても「自分は正しい」てな雰囲気が流れるので、一件強面に見えてしまいます。

しかし、考えてみれば、一般的な個人は「神学者でも、道徳の先生でもありません」から、意見は「こう思うんだけど」という線になるのが妥当で、やたらと考えて始めて「こう論証できるじゃないかな」ぐらいが関の山です。これ「正しい」とは違います。

意義についてもそうです。映画「12人の怒れる男」にあるように「変じゃない」という意義は、そこまででよく「別の意見を出す必要はありません」。「変じゃない?」だけでいいのです。

個人であるって事の、イメージにはそんな「個としての発言」が重要になります。
簡単に言えば「じゃねーの」「そうかな〜」「そりゃそうだ」に関わる言葉の流れがある事で、
その反対は「これで正しいのか」という言葉の流れです。

「これで正しいのか」に答えられる人は、そういません。
せいぜいその道の専門家に具体的な質問をした時に限られるでしょう。
ある意味、「何処の誰にその正しさの認証を求めるのか?」について曖昧だと「これで正しいのか」が暴走します。(既に「それを決めるのは自分では無い」と名言してるのとイコールだからです)

そんなこんなですが、プロ野球の1リーグ問題以来、随分と個としての発言が多く見られます、個の時代の台頭を感じますね、俺。
取り立てて建設的では無いかも知れないけれど、個である事は自身の尊厳への基本ですから、『いんじゃねーの』と思いますね。
posted by kagewari at 16:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月16日

自己分析について

精神分析って、そもそも何かって言えば、精神科の医師であったフロイドの診療法のひとつと言えます。「原因は何か」これへの回答です、結果的に「深層心理」であるとか「無意識の発見」だとか、心理学の基礎を考える上で外せないアイデアになりました。

何を分析するって、動機です。「何故こころはそう振舞うのか」この動機形成のプロセスを分析するワケです。一時期それは(社会が保守的であったため)象徴化の原型をを探るってな、ちょいオカルトなとこにまで逸れていくのですが、基本的なところは今でも重要で、当事の時代背景を汲み取ってモデファイすればより深く個人と社会文明そのものを分析する有効なツールです。

俺は思うのだけれど、岸田秀教授の重大発見は「自己嫌悪」と「反省」の違いです。言い換えれば「終わり無く自分を責める気持ち」と「状況判断の修正をして危険回避する」差ともいえます。
ともかく『今何が起こってるのか』について、自己認識が無い限り、修正するにも何がなんだかわかりませんから、実際に分析結果を踏まえで「じゃどうすんの」における方法論は様々なんだと思う。
そして、俺が精神分析が重要だと思う理由のひとつが、「分析抜きでの癒しでは、構造を逆に温存してリバウンドを抑止できない」からで、下手すっと一時期の安定は構造自体を強固にしてしまう可能性すらあるからです。

自己分析は、その内容がズレてると全く意味が無いように思われがちだけれど、これは違います、「自分の動機形成を疑う」行為そのものが、自己嫌悪に対して強烈な一撃になるからです。実際、精神分析には「聞きたくない内容」を多く含みますから、話を聞くより、自分で考える方が楽なケースだってあります(あくまでケースバイケースだけれど)そのとっかかりになるテキストがあれば、その後の相談も話がスムースになるし。
人の感情や、動機には全て理由があります。(これ、「理論的に立証」って意味じゃありません。「根拠の無い感情は無い」って意味です。)
ここに潜る気持ちがあれば、「インナーワールドへのアプローチは実は内向では無く、実存的なのだ」と言えると俺は思っている。

■告知だけれど、俺は横浜のNPO(準備中)の『HOW'S』に参加している。今後どうなるのか流動的だけれど、これも「縁」として、俺に可能な事は協力していくつもりです。kagewariにはサイトの方針としてリンクは予定していなかったのだけれど、これを機にリンクを設けることにした、近々HPの方にもリンクを貼る予定です。
posted by kagewari at 22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月13日

星野が随分怒っているようですね

彼は135キロぐらいしか直球の球速無くても抑えるタイプのピッチャーでした。阪急の今井や南海の山内、カープの北別府、巨人の定岡、西武東尾、大洋の斎藤と、似たタイプが随分昔にはいました。
今の村田兆治の方が速いでしょう、

今や150Kの速球は当たり前ですが、最後に伸びる球を投げて三振の山を築いた江川の全盛時代の球速はほとんど140K台でした。球の切れ重視だったんですね、今のようにホームランの出やすい野球じゃなかったところも面白かった。彼らの野球は「いい球を投げる」という淡白なものじゃなく、バッターとの駆け引きでした、野球はただプレーするものじゃなかった。
実際昔は、故障が当たり前で、落合の「デッドボール当たり前」じゃないですが、少々の故障でも試合に出ました。そして壊れたままでもどうやって野球を続けるのかってしぶとさがありました。

西鉄打ち、なんて流派もあって太田や基、真弓はほとんど同じ打ち方で、阪急打ちってのは松永や加藤でした。
守備でも西鉄あがりの基はセカンドで「グラブ引っ叩きトス」という名人芸があって、これは確か西武の山崎に引き継がれていたように思う。

12球団の面白さってのは、こんなチームカラーや芸当にもあった時代に星野はどっぷりでしたから。
スポーツは陸上でも、サッカーでも野球でも知的なスポーツです。言葉にはならない部分も含めて、コーチは身振り手振りでなんとか伝えようとします。こういったチームカラーは、ある意味今日本に12種類ある。
確かにドラフト即戦力の行き過ぎで、随分とチームカラーは淡白になったけれど、それは文化でもあったワケで、、。

チームにも「個としてのカラーがあった」その個は、大事にしないといけないと思う。日ハムは白井(影の監督ですね)を中心に改革されているし、オリックスは阪急文明を捨てたけれど、そのには「イチロー」の存在があります。今でも近鉄には野茂のイメージが残り、、
球界で今声を上げることは、時代を生きた者としての責任だと思う。
巨人の由伸君が「ストの同意」を取り付けました、実は巨人の二軍とはとても過酷なところで、毎年のドラフト移籍組みの中、レギュラーへの道はどの球団より遠いですから、巨人にとってもこの問題は他人事じゃありません。

どこへ流れるのかわからないけれど、選手の諸君はすごく頑張っていて、ニュースを見る(読む)度に「頑張れ」とエールを送りたくなります。

とことん戦ってもらいたいです。『今年の日本シリーズ』、来年春だっていいじゃないですか。
posted by kagewari at 00:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月12日

以前に話した自己分析用のテキストなんですが

予定を「秋まで」に修正です。とてもおっつかない状況でして、書き始めたら早いと思うけれど、「夏までは無理かと」(「もう夏だ」という意見もあるでしょうが、そこはナントか)。

内容はあまり詳細なものになりません、「考え出し」の叩き台になれたらいいなって思います。自己分析用ですから詳細まで書いてしまえば、考える余地も無く「そういう事」として形骸化しますから。

その前に「自己分析」について書かねばですね〜、俺ァ〜。
posted by kagewari at 20:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世の中が動いています、選挙より気になるのはやはりプロ野球です。

古田君は、一度野球を諦めて、受験勉強して立命館大学に合格したのは有名な話です、俺は学歴偏重で話しているのではなく、野球以外から社会を見る視点を持ち合わせた、希有なプロ野球選手だと言いたいのです。

俺は歳が同じだって事と、野村監督時代には熱狂的なヤクルトファンでしたから、自然と古田君も応援してきました、野村ファンとしては「小憎らしい奴」でもあります、古田君はなかなか本気を出しません、当事中日のファーストを守っていた落合に「デッドボール多すぎて野球にならない」とぼやいて「俺はいつも当てられると思ってるが」とすげなく言われたそうですが、彼は「出来ちゃうタイプ」です、野村監督は彼に代わる選手がいないことから(過去の自分の苦労も考えたのでしょう)4番を任せませんでした、ヤクルトファンの心情は「古田4番」でしたが、

彼はなかなか本気も出さないし、発言も控えめな方です。
それはおそらく彼特有の「一般人としての見識故」です、ファンとしてはここが煮え切らなかった。江本じゃないですが、本気の「切れ者」であり得る人材だからです。
皮肉な事に、労組の選手会長として彼はかなり本気です。
「能ある長島(長さんはナチュラルなインテリで批判する意図は無いですよ、、ホント)」そんな感じがします。「ひがまない野村」にも見えます。ホントは彼が選手として一番だった頃に4番をまかせて三冠狙う選手であるとこを見たかったのが本音ですが、そんな事よりも「オーナ相手に発言する」選手は初めてでしょう。各チームの監督がだんまり決め込んでるのとは大違いです(発言してるの梨田ぐらいでしょ)、12球団の監督も超えてる発言者になってます。

しかも、その背景は「彼が希有な個人であるため」だけです。
数多くいるプロ野球関係者で、ぬけぬけと自分の意見を語るのは今や古田君とノムさん、衣笠、清原ぐらいです。俺が注目しているのは立浪君ですね、彼を含めて選手はだんだん目覚めてきていると思う。契約更改と違う戦いを感じているのでしょう。何故かって今まで自分の年俸で会社と交渉したことあっても、全選手の立場から会社と交渉したことは無いからです。

方やオーナーサイドには「ナベツネ」がいます。
ここにも「希有な個人」の関与が否定できません。
セリーグのプロ野球が一番面白かった時は「長島VS野村」があって、パリーグの一番面白かった時には「森VS仰木」の図式がありました、よく考えると「希有な個人」によってです。

俺は「ひとりじゃ何もできない」という言葉が、子供の頃から大嫌いでした。太陽にほえろのゴリさんの「撃てるものなら撃ってみろ」も大嫌いでした。協調と独立は決して反発しないからです、改革改革って意味ではありません、原点に戻る方へ個人が発言するなら、それは「アリ」だと思います。
「独りが立たなければ何も起きず」「お前には撃てっこないというのじゃ犯罪者への侮辱です」

個人への尊厳って何か

ナベツネは「だれその人(ライブドア)」「たかが選手(古田君)」と明らかに「組織ではなく個人に喧嘩を売りました」、これは高くつくと思う。組織をバックに組織を牛耳ってきて「個としての自分の希有さ加減」を曖昧にしてきた彼には、その後の展開は予想もできないものになるでしょう。

マスコミ全体で野村を潰しても、アマで復活です。そうそう個人の力はバカにはできません。

「古田君や立浪君へ売った喧嘩」どうなるのかわからないけれど、俺は彼らの後ろに「無数に怒れる個人」がいる事を信じます。
 一時ヤクルトの会社サイドが古田君に圧力をかけた時期がありますが、自分のバカさ加減に気が付いたのか、圧力を取り下げました。彼はヤクルトの監督などなんとも思ってないからです。「みんな出世したがっている」と思ったら大間違いです、おそらく引退後の古田君は、現場よりTV局との契約の方がよほど高いでしょうし、年俸面もヤクルトの事、球界の事を考えて低めにしているおかしな奴です(ここが本気出してない、彼の困った一面でもありますが、、)、彼には今度こそ本気を出してもらいます、オリンピックのキャプテンが宮本であるように、ヤクルトはおかしなチームで、ある意味選手間で尊敬されてるチームです(誰が考えてもあの貧乏さで、よくやってる、野球バカのチームと、他のチームが気がつかないワケないですから。そこはプロですからね。)、

ともかく、これまでどこのオーナーもはっきりものが言えなかった「ナベツネ、提」にものを言い始めた選手個人。
ダイエーの松中君の闘争心は、本気だし、彼は人望もありますから、パリーグを引っ張っていくでしょう。小久保問題以来感じていた球界への不信感も背景にある筈です。

日本のプロ野球界は随分と「後ろでゴチャゴチャやってました」が、そもそもそんな事は許されない、本来「江川事件」の時に表に出すべき事が、随分と時間を掛けてやっと戦いになってきたと感じます。
巨人の上原君も「かなりな個人」です、
この選手会の戦いは、プロ野球選手を目指す諸君にどう映るでしょう。ここで一方的にやられたら、いくら高額年俸をもらっても『たかが選手』です、球団社長に「アホ(近鉄)」呼ばわりです。

古田君はとっくに選手生命を掛けてると思います。
本気になった彼を、選手として見たかったのですが、「一度野球を諦めた男らしいな」、とも感じます。
古田VSナベツネ、これからが「気になりますね」
プロ野球の将来がかかった戦いになりますね、こりゃ
posted by kagewari at 02:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月09日

トラウマ論再び

前にも触れましたが、PTSDじゃないですが、同じ体験に比例した外傷を受ける事はありません。トラウマに該当する事件は「ダメ押し」であって、コアでは無いって話の続きです。

『象徴的事件』こういったものが歴史にもあります。
2.26事件、三島事件、浅間山荘、3億円事件
これらの話を説明するのに、時代背景が重要だって事に意義を感じる人はあまりいないと思う。

個人でも同じです。「背景(ビヘイビアー)」を抜きに事件だけから、それ以降の経緯を説明するには無理があるんです。
しかし『トラウマ』と呼ばれる現象は確かにあります。最も不快な記憶としてフラッシュバックしたり、連想されるものが不快感の一部を再現してしまったり、、。無意識の話を軽く整理すると、こうなります。
保守思想じゃないですが「この方がいい」だけを受け入れて、その根拠を「あたり前」とか「伝統」とかにした場合、一介の個人ではその「いいだろう理由」は曖昧なままになります。「いいだろう理由」を個人が簡単に理解できたら大変です、文化人類学の修士コースじゃないんですから。
肝心の理由は「あうん」だったりします。
例としては正しくないのですが、根拠や記憶の元になる原体験は大事ではなく、それから会得する理念だけが「自我マター」になる事は、不思議でも何でもないのです。

極論、悩みを持つ人のみ、その解消のために「種明かし」のように、自分の思いの根拠を確認する過程が必要になるとも言えるんです。
確かにそれは、権威(常識)に個人(エゴ)が対峙する事になりますから、個人で行うには大変で、「これが悩んでいる現象の『裏』じゃないのか」と目の端に入った瞬間から自信が無くなります(抑圧バネ)。そこを確認する意味で第三者の介在が効果的なんです。
一般に相談は、親友や家族間で行われますが、彼らは「悩んでいる常識の関係者」である事が多いので、逆効果になる可能性も少なくありません。つまり「彼らは自信を喪失させる役割である事が多いから」です。

ここまでの話が『トラウマ』にかかります。
常識や道徳は、自我を強制し支配する存在です。
「トラウマと躾」
ここに混乱が起きます。トラウマの体験を「罰」と認識するとそのレベルに応じて、症状は重くなると考えていいでしょう。元々「何か漠然とした基準に自分は足りていない」等の意味不明の不安があったりすると「いつかきっと」という現実的な不安感に繋がり、不快体験が「トラウマ化」する『背景』になります。

しかし意識をトラウマ以前に持っていこうとすると、トラウマの記憶が『門番』の働きをし、それ以上記憶を遡らせないように思考をはねつけます。

こころのどこかに、この『門番』を必要とする流れがあったとしたら?
「無意識に」不快な体験に知らず知らずに近づいていたのかも知れないのです。この点ばかりは証明できませんが、原則として「不安より対象のはっきりした恐怖の方が心理的に楽である」と言えるのです。
極端に言えば「不安はその証拠となる恐怖を求める傾向がある」と言い換えられる。何故なのかといえば「不安は杞憂で勘違いかも知れない」という意識も当然あるので、「心配が無い事を、あえて難しい状況で確認してみたい」という感情を感じたとしても不思議じゃないからです。

この相反する感情は、誰の何なのでしょう。
「確かめる」ものは何だったのでしょう。
自己嫌悪が背景にあるなら、「やっぱりダメなんだ」である可能性が高く、嫌悪意識は抑圧されていて自覚できませんから、意識には「きっとだいじょうぶだ」と感情が反転している可能性もあるんです。

ですから、「トラウマ解消」等と言って、不快体験に正面から向き合うのは危険だと俺は思う。
「それ以前の、それ以降の話」にこそ、そのトラウマへの抵抗力を身につける鍵があるに違いないのではないか。
posted by kagewari at 04:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年07月07日

今日の東京がどこまで暑いのかしらないけれど

暑い

今はほぼ毎日、どこか屋外を徘徊しているのですが、こりゃ強烈な暑さです、予測どおり自民が苦戦の夏がきそうです、今回の選挙の結果はひさびさに楽しみです。そしてプロ野球の1リーグ問題、

何かこの暑さは、じわじわ回復している景気とともに、ワケのわからん事を言う偉いさんのスケールを、妙に小さく感じさせる気がします。

こんな日は頭も廻らず、ボケーっとしてしまいますが、おそらくそれでいいのでしょう。昔は夏といえばスイカで、昔の冷蔵庫は小さくて入らないので、台所の水出しっぱなし型で冷やして食べたものでした。俺は個人的にはあまりスイカは好きではありません。どうしても「これ野菜だろ」が先にたってしまい、ありがたみをあまり感じないのです、そんなこんなで夏には何を食べるとか、夏だからこんなことするって様式もすっかりなくなり、「暑いので薄着」ぐらいです。
当たり前の娯楽だったプロ野球も、なんだかちょっと前の「金融危機のデマ」とか「流行だけのリストラ」の後追いをしている感じがします。
春になって開幕し、秋に優勝が決まり、日本の季節感のひとつであって大事なものだと思うのですが、、

この暑さが、余計に人の思惑のズレを際立たせているような気がします。
posted by kagewari at 16:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

暑い夜です

東京に暮らして20年になりますが、これといった空調無しになんとなく過ごしてきました。今でもクーラーが快適なのは最初の1時間で、どうも苦手です。
扇風機を買おうと思ってはや20年ですが、これがなかなか買えない、
自分でも不思議なぐらいです。
確かに俺は北海道生まれで、扇風機もクーラーも無い暮らしをしてきたのだけれど、意地になってるでもなく、なんとなく買いそびれているのです。

暑くて汗だくで不快に違いはないのだけれど、本人自身あまり不快がっていないようです。イロイロ考えた結果「意外と外は涼しい」がひっかかっているらしく、つまりなんとかすれば外と内の環境を同じくできるのであって、、
俺は反射的に常識どおりに行動する神経が無いので、この結論が出ないとなかなか扇風機も買えません。

そのくせ暑いってのが自然現象なもんだから、あまり真剣に格闘する気にもならなく、かといって秋になると涼しくなるじゃないですか。
考えて、買おうかって頃にはいつも秋です。
仕事(不動産)してる時には「エアコン付かないの?あら〜」となるのですが、そういう自分自身はエアコンを付けようとも思わないのであって、

自分の中の「空調対策はこれでいいのか」への答えが出るのに、後5年、、10年かかってしまうかもしれないな、こりゃ。
posted by kagewari at 03:41 | Comment(1) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照




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