2004年06月30日

社交的な人格傾向(一般には「性格」)について

社交的って一律じゃ無いと思うんですねぇ
ごくありきたりのイメージは「明るく誰とでも話す人」なんでしょうが、『誰とでも』がひっかかります。
この『誰とでも』は誰の事なんでしょう?

無防備に誰とでも明るく話しするんじゃ、目の前にいる右翼と左翼の論争に、彼はどんな風に「明るく誰とでも話す」という行為を完遂しるのでしょう。おそらく「真面目に仲裁に入る」ってとこでしょうが、右翼君と左翼君が実は親友で「思い切り論議を戦わせているだけだった」とすると、仲裁はたんなる仲良しの会話の邪魔をしただけです。

「明るく誰とでも話す人」なる幻想は、同じ価値意識を持つ母集団を前提にしているのであって、背理は「誰とでも範囲に入らない人は、人でなし」なんです、けっこう残酷な母集団の鏡みたいな人格モデルのなのだと言えます。

しかし、社交的には別のオプションもあると思うんです。
「誰と話すってワケでも無いが、話せば話したでぐぐーっと話が続く人」(俺は社交的ってのじゃ無いので、きっかけがないと寡黙です。これはホント、なかなか最初から「いやはや(後述)」とはなかなか出来ないですね〜)この社交的なもうひとつのタイプが「人のいい人」じゃないかと思います。
つまり、のべつまくなし誰とでも話すのではなく、「特に警戒していないので」「やぁー」と声を掛ければ「いやはや」と返してくれる人です。
この人物は「明るく誰とでも話す人」と呼ばれないでしょう。

何と呼ばれるのかって?
何でしょうねぇ、「はっきりした人」でしょうか、う〜ん、一般的サイドからの呼称を予測するのは難しいのです、あえてなんと「呼ばれるのか」考えない方がいいような気もします。
posted by kagewari at 02:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月28日

呼称について

一人称なら「僕」「私」「私」「あたし」「ウチ」「自分は」「俺」「○○子ね」「NM」、、様々です。いったい誰なんでしょう。
この人物は友人や会社で「○○君」「山田さん」「○○○(名)」「おーい」「君」「あなたね」「ちょっと」「○〜(あだ名)」「○さん(短縮形)」ますますわかりません、いったい誰なんでしょう。

一般に分裂病や、多重人格などという診断は重大な病として受け取られがちですが、普通の生活に適応するって事は、マルチパーソナリティーを必要とするもので、このデスクトップ画面の使い分けは、日常茶飯事です。人格の統一として考えると「俺」「私」に属する部分がマスターになるのでしょうが、みなさん経験があるように「独り言」や「日記」に登場する『自分』はちょっと綺麗事で、調子良かったりします。(ここにナルチシズムの誤解が生まれます)、つまり目に見える統合なんて無いんです。それぞれが根拠があって矛盾していなければいいのであって、存外「自分」は曖昧なものだったりします。
「我思う故に我あり」この哲学の発想は「言い切ればそれが自分(笑)」という隙間狙いのブラックジョークのようなものです。

しかし、この「我思う故に我あり」は重大発見だったのです。
「意外と自分は定義されていなく曖昧だ」の発見だからです。

以前に話した「カツカレー論」ですが、自分の定義なんて大見出しだと腰が引けたり、こっぱずかしいものなので、そこを狙って「我思う故に我あり作戦」を使うわけです。自分は何者?って話をレーゾンテートルとかを持ち出して話すと、なんだかそれだけで深刻になってしまいます(シリアスは違った意味だとも思う)。
つまり「大真面目に、僕は僕であるが故に冷やし中華である」なら立派に『自分』は実存します。

だからこそ、自分の希薄な人は「私も同じ物を」と、そのチャンスから巧みに逃れます。
何を話すのか、その時にどんな心境なのか、そんな些細な所に悩みの脱出口は開かれているともいえるのでしょう。
posted by kagewari at 12:37 | Comment(2) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月27日

喫茶店が好きです

立ち寄り先にだいたい決まったお店があります。喫茶店が無いと落ちついていられない人格の持ち主らしく、知らない街を歩いていて、感じのいいお店があると、つい入ってしまいます。
自分なりにこの原因を考えてみると、「家族的な共同幻想が非常に希薄である」「転校暮らしだったので、人の前に、街に馴染む性癖がある」「自宅での生活重視というより移動が好きである」「東京に来てから18年同じJAZZ喫茶に通った経験が人格に影響を及ぼしている」「他人が交差する環境が楽である(自由往来な感じがして)」「幼児期の家庭環境の中で、夕食がお店風の雰囲気(ひとりひとりが任意に食事した)だったため」「子供時代から居間(自室で無く)にひとりでくつろぐのが贅沢と思っていたため」、、等いろいろな原因が考えられます。間違い無く俺のアイデェンティティーの一部です。
そのせいかPCも持ち歩けるノートでなければならず、何かと不自由もしてる筈なのですが、これが俺のパーソナリティーなので如何ともしようがないのです。

人のライフスタイルを考える時に「便利、効率」は全く関係無いでしょう、「まいったな〜」「しょうがないな〜」なとこにこそ面白おかしいとこがあるもので、そこを自己規制するとけっこうストレスです。
『喫茶店に行く』
俺の「気まま」には欠かせない生活の一部です。
posted by kagewari at 18:23 | Comment(4) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月26日

いろんな言葉について

「自己満足」
これも感じの悪い言葉でよく聞かれますが、けっこう矛盾しています。何故なら「他満足自己不満足」がベストだったら大変ですから、この言葉は「満足してる自」に、気にならない「他」がつけるイチャモンの事で、スジが通った表現は『自他ともに認める』に近いものでしょう。こうなると問題は「満足してる自」を批判する「他」が、十分に「他」を代表する人物か否かです。しかしこの「他かあんた」を意味する言葉はありません。せいぜい「あんたに言われたかないね」と「あんたには言う資格無い」なんでしょうが、この表現も又『なんで?あんあたに』の「なんで」が曖昧なままなので売り言葉に買い言葉の域を出ません。
「自己満足」の世界観は「(共同幻想的)常識的な事に満足しているのか?」を問われているのであって、新発見や、創造的な思考は100%「自己満足的批判」を受けます。
ま、考えようによっちゃ「それは君の自己満足だ」は賛辞なんです。

「それは理屈だ」類似語「頭でわかってるだけで、、」
これも大変な言葉です、理屈も無いなら暴力の強いものの勝ちです(違った意味で、そうとも言える部分はありますが、上の台詞を話す人物の大半は「暴力至上主義」ではないでしょうから)。頭で何もわからないなら記憶にも残りませんから、どうやってわかるのかわかりません。。本質的な意味は「ちゃんと実行可能なぐらい十分に考えられていない」としての批判なんですが、この言葉の背景は職人の時代に「微妙なニュアンスは経験でしかわかない」とこから来ています。説明が難しい理屈があって、それは経験で会得する『理屈』だ。という事です。しかし、この言葉は、随分事の本質を離れて乱用されています。「痛い事を言われてカチンときた時」なんかに使われてしまっています。しかしなーんとなく「それは理屈だ」という台詞自体を疑う人はあまりいないので、ついそう言われると凹んでしまいます。
これも考えようです。
「それは理屈だ」と言われたら「あんたはそれが何か知っててそう言うのか?」と聞き返しましょう。だとしたら「それは理屈だ」の根拠も「それは理屈」だからです。

なんだか、又わかりにくい話になりましたが、上記の様に「気をつけないと、反論できなくてただ意味も無く凹む」そんな言葉があるのは、事実なんですね。言う方は随分楽なんでしょうが、、、。
posted by kagewari at 21:32 | Comment(2) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月25日

悩みなのか?キャラクターなのか?

(性格論はひとまずおいておいて)「くよくよする性格」というのがあります。悩みが多いわけでも困っているのでもありません、これは個人のキャラです。

自分は「精神的に悩んで苦しんでいる」と「私ってくよくよする性格なのよね〜」の差は何処にあるのでしょう。外見上「がっかりしている様子」にそう違いはないでしょう。
大きな違いは「自覚」です、つまり『被る』の関わり方です。

本来は悩んだりしない明るい人間なのに「今悩んでいて辛い」
まるで、何か災難に巻き込まれた(=『被る』)みたいです。
私は「くよくよする性格なので、いつも溜息がちなのよ」
まるで「自分がそんな人間だ」といわんばかりで、外側にはまるで問題が無いようです、、、

(ネガ・ポジ論への疑問と一致するのですが)揺らいでいるのは自分自身への「こんな人だ的認識の明解さ」です。何故なら思い悩んでいる人は、その前提となる『本当は悩んだりしない明るい人間なのに』を、おそらく認識していません(無意識的与件)見つけるべきなのは悩みの解決策ではなく、『自分自身のキャラクター設定』なのだ、と言えるのです。
posted by kagewari at 14:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月24日

やはり小泉人気が下降なんですね

そんな気がしました。(最近新聞をまとめて読むってか、見る生活な物で、ちょっと遅れ気味のニュースですが)

人気って何でしょう?
最近のナベツネの発言も目に余るもので(巨人の人気もガタ落ちらしいです。観客動員は全体として増えてるって、前ニュースで見ましたから、これは実質「巨人だけ落ちてる」に近いものでしょう。故障した清原がスタメンじゃないとか、ローズ小久保がパリーグの力を見せ付ける事が、かえって凄いと思った『巨人』のイメージを素に戻したのでしょう。)これも「人気にあぐら現象」のひとつです。

これらの問題は「人気を自分のものだと思う」というとんでもない勘違いが原因です。
人知れず口コミで人気のある街のセレクトショップとはワケが違います。ブランドイメージによる人気は「そもそも共同幻想の側にそのニーズがある」のであって、実力(その人のものではない)と関係ありません。
一番わかりやすいのは「アイドル歌手」で、60年代〜80年代をピークに、現在はその「アイドル歌手」というカテゴリーが消えました。
「人気球団」というカテゴリー自体は後退し「プロ野球人気」を見なければならないのに、ナベツネは自分の球団が「=人気球団」だと勘違いしています。あるいみ本当の傲慢さはここにあって、いくら時間があまりないサラリーマンが、なんとなくつけるTVの野球中継がいつも巨人線だからって「この人物をバカにして」、「巨人が勝てばみな満足、こいつらは野球の本質などわからないんだから、とにかく巨人が勝てばいい」という態度は無知蒙昧もいいとこです。

最近の小泉にもそんな感じがします。頑張ってるのは、猪瀬や竹中、石原や 石破、辞めた福田官房長官で、小泉はこれといった仕事してません。それが今の「指揮権で口約束」・・です。こりゃとんでもない話で、国民は首相の口約束を信じなきゃならんのですか?
俺は左翼でもないし、義理の兄貴は陸情自衛隊です、しかし「指揮権は口約束」じゃ、何処の国の軍人がそんな指揮官の命令を素直に聞けますか?

「小泉人気」というニーズが共同幻想にあっただけで(誰も小泉君を個人的に知らないんですから)「小泉君に人気があるのじゃありません」

「小泉人気が下降」ほっとするニュースでした。
posted by kagewari at 17:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何が何って事じゃないのですが

メインのモバイルマシンの候補に困っています。
いつもマシンを持ち歩いているので、A5マシンが欲しいのですが、今使っているCASIO FIVA206の後継が(CASIOはPC撤退したので)決まらないんですよ、、。

天邪鬼の俺としては、バイオはちょっとだし、、パナは高いし、
トランスメタの石に拘りたい気持ちもあるのだけれど、「タテマサ」どうなんだろ、IBMは、、と迷うのです。ほとんど中古のIBMに決めてるのですが問題はバッテリーです。ただでさえ重いマシンですからねIBM。

何事も体力なのかと、思うこのごろですねぇ
posted by kagewari at 01:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月23日

仕事柄、いろんな街を歩いてるのですが

そこで暮らしてる人には「いつもの風景」を。「へーっ」と眺めている自分がいます、不思議なもので元々が精神分析と同じ線上でもの見る性癖があるので、妙〜に俯瞰から物を見ているわけで、時間とかの感覚がちょっとズレてきます。ぼやっとしいてるんじゃ無いですが、時間がたつのが心なしか早いです、これは「旅行の快」に近いのだと思うけれど、、、
そう考えると、しょっちゅうなんやかんや外交の多い人の体感人生速度は短いのだろうか?
楽しくて時間のたつのを忘れる、って表現もあります。
これと同じでしょうか?
それだけではないでしょう。実際何かに集中していて、それが嫌なことじゃ無い時には、楽しくなくても時間のたつのは早いものです。

ひょっとして不快な時に、時間が妙に長く感じられるのは危険回避するために「十分な時間があるように、体感で長めの時間がセットされてるのか?」
よく聞きますね(俺もですが)「時間がたんない」これは幸せな事なのか?「時間がたんない」との要求を満たす「時間がある感じ」って体感は、実は存在しないのか?

なんだかんだと、新宿はもう夕方です。
posted by kagewari at 17:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 精神分析時事放談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月21日

いつか書きます言語論

これが又最大のテーマのひとつで、どうやって書けばいいのかまとまっていないのですが、いつか書かないと自分的にも整理がつきそうにありません。『言語論』

言葉が言霊と呼ばれた所以なんだと思うのですが(陰陽師でいうとこの呪「シュ」も同じ事でしょう)、話し言葉で頭の中の現実認識ってこれ随分変わるワケで、、主語を「私は」と「俺は」を使い分けるだけでも『自分の印象』すら変わってしまいます。

精神分析には象徴化ってアイデアがあって連想の分類なんて(あんまし意味無いと個人的には思います)したりしますが、これも同じアイデアです、「知らない間にキャッチコピー」な感じとても言えばいいのか、、
昔の人が言葉使いをうるさく言った根拠は、言葉と人格の関係を伝統として知っていたからで、人格が不注意におかしな流れに引き込まれないようにする自己防衛でもありました。

これは逆さに捉えると、言葉を選ぶと気分も変わるって事で、なんて言えばいんですかねー、「言葉探しへの期待」は予定しているより大きいと思っています。
posted by kagewari at 23:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

社会現象とコトバの関連性、例えば流行語

「3高」「アッシー君」「ダッコちゃん」「三種の神器(白物家電)」「ノンポリ」「ゲバゲバ」「アプレゲール」「新人類」「受験戦争」「内地(まだ使われてるかも)」「竹の子族(まだいるかも)」「モボ・モガ」「カフェバー」「いつかはクラウン」「一国一城の主」「純喫茶」「歌声喫茶」「七人の○○」「赤い○○」いろんなコトバが社会の一時代を現すので『流行語大賞』なんてのがあるぐらいです。
社会のムードに合わせて人が交わす会話の内容は変質します。『共同幻想』が実存してる証のひとつなんですが、ともかく個人がこのコトバ達の影響を受けないワケはありません。
「アメリカンドリーム」は国是でもあり、形を変えた「富国強兵」とも言えます。
この世間の雰囲気を「洒落のひとつ」として受け流すのか、「聞いたまま」真面目に受け取ってしまうのかで、人の思考は180度変わってしまいます。

ということは
社会で交わされる言葉の雰囲気に「敏感か否か」という違いが有り得るのかって問題ですが、「自分がどう思われているのか」に敏感な状態の時に、この雰囲気に敏感でいられない筈は無いでしょう。
つまり、(それこそ逆説なんですか)「個人的に悩んでいる時ほど、社会的な雰囲気に感情が左右されやすい」のであって、感情を振り回す『ネタ』は、社会的なコトバであって『個人的な理由』ではありません。
皮肉としか言いようが無いのですが、これは事実です。
「みんなこうしているのに僕は」の「みんなこうしてる具体的推定」は流行語程度のムードや雰囲気であり、肝心の『みんな』はこれを面白がって「洒落で使っているだけ」なのにです。

構造が見えてきます、「僕を苦しめる嫌なキーワードで、彼らは楽しそうにしている」
デ・コードします
「僕が実現できなくて苦しんでる事を、みんなは余裕でできるので笑いながら話してるんだ」
完全な事実誤認ですね。
これが連鎖すると『みんな』はなんでもできてるように仮想されるので、自分の自分自身への評価は急降下します。

完全に前と後ろがさかさまな話が始ってしまいます。(実は「ほとんどの人は流行を真面目に実現していない」からです)自分自身の
望とはまったくかけ離れた流行に追いつこうと邁進しているのは、悩んでいる人そのもので、、、「流行の先端を目指してる事の挫折を勝手に感じている」と同じです。
そこで、
「こんなバックじゃバカにされる」
と思うのですが、
そのバックより著しくチープなバックを持っている人が山ほどいても、もう眼中には入りません。(知性の抑圧)知らない間に差別的な人格へと流れは傾斜し、「これで十分でしょ」な投げかけに「こんなじゃダメなんだ!」と激高するに至ります。

俺は、この現象を、「結果的に『みんな』を見下している」ところから「無意識の特権階級主義」と考え「自己中心的発想に繋がる構造モデルそのもの」だと思うんです。
それこそ一般の「自己中心的(「ジコチュウ」って呼ばれた時代もありましたが、、)」という言葉の解釈は意図的で偏ったものに思います。物事を判断する上で「比較を用いない」なんて有りえません(「アリエナーイ」ってコトバもありましたねぇ、、)から、自己中心的に考えるためには哲学者や悟りでも会得しない限り(これらの人物は「ジコチュウ」と呼ばれません)判断する元が無いんです。判断材料が自分自身だけであることが前提になっているのでしょうが、もし判断材料が自分自身なら、同じ人間の『みんな(実はきけんなキーワードです)』は、自分と同じ事になり、周辺に極端な行動を取る筈無いのであって(これが俺の「エゴたいして悪くないぞ論」の根拠です)この人物がこれまた「自己中心的」と呼ばれる事は無いのです。
つまり、「自己中心的」と呼ばれるためには「みんなはこうにきまってるの推定が完全に間違っていないと成り立たない」という事です。
『無意識に特権階級になってしまい、周辺から特権階級気取りと評判が立つ現象』=『自己中心的』
なのです。

社会が提示する流行語は、ほとんど皮肉で(「違う違う」って意味が大半で)その意味合いは、考えなくても「社会の風」を掴めるためのキャッチコピーなのであって、本気でそうするつもりなど無いのです。
「アメリカンドリーム」これ米国人全員が達成すると「アメリカンドリーム」とは呼ばれません。「突出した成功」を意味しているからです。つまり「アメリカンドリーム」の正体は「成功できたらいいね=めったに成功しないよね」なんですから。

社会的に感じると癒し、個人的に感じると危険、危険なコトバとはそんなものかも知れません。流行してる時点で(他者とコトバの意味が通じる時点で)コトバは(コミュニケーションツールですから)社会的(共同幻想的)なもので、個人的なものでは無いからでしょう。
posted by kagewari at 13:26 | Comment(2) | TrackBack(0) | 心理学テキスト「Why not」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


『住まいの心理学』
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所謂臨床系の言うところの行動療法ってほど堅い話ではありませんが期待感あるアプローチだと思います
自我と時間』参照

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